September 22, 2006
"arigato."
#この記事は、オキナワからトーキョーに向かうJAL1900便の機内で書きました。
3年ぶりに、"故郷"オキナワを離れる日がやってきた。
そして明日、人生で初めて"祖国"ニッポンを離れて暮らすことになる(たった半年だけど)。
今回の旅立ちにあたり、ボクはできるだけ多くのヒトに会いたいと思った。先週から今週にかけて、ほぼ毎晩いろんなヒトと酒を酌み交わし、たくさん語り合った。だけど、都合がつかずお会いできなかったヒトも残念ながら数多かった。
ボクは、ホントは皆さんにこのコトバを伝えたかった。
ありがとう。
18歳。
ナゴヤの大学に進学が決まる。
オキナワを離れるとき、ボクの気持ちは不安95%、期待5%の配合比率だった。
食事や文化だけでなく、気候も違う。オキナワと違って、ナゴヤは文字通りの大都市である。
そして、何よりナゴヤには友達がいなかった。
果たしてちゃんと生きていくことができるのだろうか。
正直なところ、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかし、ナゴヤの大学で"寝食を共にした"友人たちは、一緒に喜び、悩み、そして真剣に心配してくれた。彼らに出会い、そして彼らが支えてくれたことで、ナゴヤはボクにとってかけがえのない"第2の故郷"となった。
22歳。
トーキョーの会社に就職。不安60%、期待40%。
不安の配合比率が下がったのは、就職活動において東京にも友人が若干できたことが大きかった。
それでも、新しい街で住むことには不安が大きかった。
仕事はとてもハードだったし、精神的にも押しつぶされそうになった。
実際、2002年には"重度のうつ病"と診断され、医者から「このまま仕事を続けていては命にかかわる」とまで言われた。
だが、信頼・尊敬できる上司、損得抜きで付き合える同僚たち、そして何よりも就職活動時代に得た友人たちが、ここでもボクを励まし、助けてくれた。
27歳にして、ようやく"故郷"オキナワに戻ってくる。
家族や親戚がいつも身近にいることのありがたさを全身で感じたことを今でも覚えている。
オキナワに帰ってきてからの2年半で、幸せなことに、また多くのステキな友人たちと出会うことができた。
この2年半は、果汁濃縮250%ぐらいの味わいと表現できるほど、多くのエキサイティングなことがあったが、それらはすべてステキな友人がもたらしてくれたのである。
海人丸(うみんちゅまる)のオキナワ→ナゴヤ2,000kmの航海、"グアム24時間耐久ツアー"をはじめとした1週間10,000kmの旅、"沖縄三大祭り"のカチャーシー大会、KANAKA IKAIKAというカヌー選手権シリーズの実況、ビーチサッカーチームSOL MAR PRAIA・・・。
そして、何よりもボクの人生の中に"サッカー"という楽しみを付け加えてくれた、FC琉球。
これらの経験は、すべて大切な友人が誘ってくれたことから始まっている。
彼らに共通するのは、「夢がある」ということだ。
それは決して自分だけの"欲望"ではない。その夢が現実のものになることで、周りのヒトだけでなく、沖縄中が、もしかしたら日本中がハッピーな気持ちになれる。実はそんな大きなシロモノだったりする。
海人丸を率いた荒木さんは、来月ハワイで行われるアウトリガーカヌーの世界選手権を、"日本代表"として戦う。来年3月にはハワイのカヌー"Hokule'a"にクルーとして乗り、パラオから日本までを漕ぐという。さらに来夏、海人丸を再び率いて、今度は沖縄から東京までを航海するという。彼の舞台は、広い太平洋にある。
ビーチサッカーチーム・SOL MAR PRAIAは、来月初めて行われる全国選手権に、沖縄の代表として出陣する。また彼らの多くは現在ビーチサッカーの日本代表であり、11月に行われるワールドカップには日の丸を背負って世界に挑む。
愛すべきFC琉球は、いま天皇杯を戦っている最中だ。去年・おととしと3回戦でJリーグチームの壁に阻まれているが、今年こそは"Jの壁"を突破してくれるものと信じている。そしてJFLでも必ずや健闘してくれるはずだ。ぜひ、残り全勝するぐらいの気持ちで戦っていただきたいと願う。
また、彼らにはJFLで最も熱いサポーターたちがついている。彼らなら、必ず勝たせる応援をやってくれると信じている。ボクは地球の裏側で、しかもネットでしか応援することができないけれど、いつもココロは北谷に向けている。離れていても、ボクも一緒に戦い続ける。
29歳。
初めての海外生活を目の前にしたボクの気持ちは、不安10%、期待90%である。
10%の不安は、日本語の通じない生活が待っているということと、そしてテロ。おそらく今までの中で最も孤独に感じる環境に置かれようとしているのに、しかし不安要素はこの2点だけである。こんな強い気持ちになれたのは、他ならぬ皆さんのおかげである。
大きな夢を抱いて走り続けている友人たちを見ていると、「オレも負けていられない」という気持ちになる。このかけがえのない友人たちが、いまのボクを強く後押ししてくれているのだ。
ボクに、その強い気持ちを与えてくれたことに、ボクはココロから感謝します。
ありがとうございます。
そして明日、人生で初めて"祖国"ニッポンを離れて暮らすことになる(たった半年だけど)。
ボクは、ホントは皆さんにこのコトバを伝えたかった。
ありがとう。
ナゴヤの大学に進学が決まる。
オキナワを離れるとき、ボクの気持ちは不安95%、期待5%の配合比率だった。
食事や文化だけでなく、気候も違う。オキナワと違って、ナゴヤは文字通りの大都市である。
そして、何よりナゴヤには友達がいなかった。
果たしてちゃんと生きていくことができるのだろうか。
正直なところ、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかし、ナゴヤの大学で"寝食を共にした"友人たちは、一緒に喜び、悩み、そして真剣に心配してくれた。彼らに出会い、そして彼らが支えてくれたことで、ナゴヤはボクにとってかけがえのない"第2の故郷"となった。
トーキョーの会社に就職。不安60%、期待40%。
不安の配合比率が下がったのは、就職活動において東京にも友人が若干できたことが大きかった。
それでも、新しい街で住むことには不安が大きかった。
仕事はとてもハードだったし、精神的にも押しつぶされそうになった。
実際、2002年には"重度のうつ病"と診断され、医者から「このまま仕事を続けていては命にかかわる」とまで言われた。
だが、信頼・尊敬できる上司、損得抜きで付き合える同僚たち、そして何よりも就職活動時代に得た友人たちが、ここでもボクを励まし、助けてくれた。
27歳にして、ようやく"故郷"オキナワに戻ってくる。
家族や親戚がいつも身近にいることのありがたさを全身で感じたことを今でも覚えている。
この2年半は、果汁濃縮250%ぐらいの味わいと表現できるほど、多くのエキサイティングなことがあったが、それらはすべてステキな友人がもたらしてくれたのである。
海人丸(うみんちゅまる)のオキナワ→ナゴヤ2,000kmの航海、"グアム24時間耐久ツアー"をはじめとした1週間10,000kmの旅、"沖縄三大祭り"のカチャーシー大会、KANAKA IKAIKAというカヌー選手権シリーズの実況、ビーチサッカーチームSOL MAR PRAIA・・・。
そして、何よりもボクの人生の中に"サッカー"という楽しみを付け加えてくれた、FC琉球。
これらの経験は、すべて大切な友人が誘ってくれたことから始まっている。
それは決して自分だけの"欲望"ではない。その夢が現実のものになることで、周りのヒトだけでなく、沖縄中が、もしかしたら日本中がハッピーな気持ちになれる。実はそんな大きなシロモノだったりする。
また、彼らにはJFLで最も熱いサポーターたちがついている。彼らなら、必ず勝たせる応援をやってくれると信じている。ボクは地球の裏側で、しかもネットでしか応援することができないけれど、いつもココロは北谷に向けている。離れていても、ボクも一緒に戦い続ける。29歳。
初めての海外生活を目の前にしたボクの気持ちは、不安10%、期待90%である。
10%の不安は、日本語の通じない生活が待っているということと、そしてテロ。おそらく今までの中で最も孤独に感じる環境に置かれようとしているのに、しかし不安要素はこの2点だけである。こんな強い気持ちになれたのは、他ならぬ皆さんのおかげである。
大きな夢を抱いて走り続けている友人たちを見ていると、「オレも負けていられない」という気持ちになる。このかけがえのない友人たちが、いまのボクを強く後押ししてくれているのだ。
ボクに、その強い気持ちを与えてくれたことに、ボクはココロから感謝します。
ありがとうございます。
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この記事へのコメント
1. Posted by うっでぃ
September 22, 2006 23:25
英会話のうっでぃ[party animal]です.短い間でしたがいろいろとお世話になりました.たぶんやすだサンならどこでもやってけそうな気がします【笑】.自分も来月フィリピンに旅立ちます.やや寂しいですが、またどこかで再会できることを願っとります.
PS 写真ありがとうございました.いま、みんなでまわしてるところです.ところで自分のカメラに写ってたやすださんの写真をイギリスに送りたいんで、落ち着いたらイギリスの住所をメールでお知らせください.よろしくお願いします.ではお体に気をつけて・・
